卒業式
高校生のころ、大学進学を目前にしていた私は迷っていた。どの大学にするか、どの学科にするか迷っていた。
そして大学卒業を目前にした私もまた焦っていた。
同い年の友人は資格を取り、教師や看護師になった。
そしてSNSを見れば、同い年やもっと若い人が在学中に会社を建てただの、海外の大学で優秀な成績を修めただの、ほめたたえられている。
では、私は何か成し遂げられたのか。あの頃なりたかった何者かになれたのか。
もしあの時法学部を選択していたら、今頃弁護士を目指してロースクールに入学しているかもしれない。
もしあの時経済学を専攻していたら、経済ジャーナリストを目指してマスコミの内定がもらえていたかもしれない。
もしあの頃違う道を選んでいたら、今の自分よりずっと輝かしい人生が待っていたのかもしれない。
同年代の彼らの充実した生活ぶりや、長年の夢を叶えた人特有の笑顔が今の私には重くのしかかる。
卒業式の後にキャンパス内を一周した。
もうここには来ることはない。
学び舎で一番の主役は学生だ。
もしまた来たとしても、その時私は主役ではない。
昔を懐かしがりながら校舎を我が物顔で歩く、ただの部外者に過ぎないだろう。
他の卒業生が写真を撮りあっている。私はこの学校にこんなに学生がいることを知らなかった。そしてこの中に私の知り合いは殆どいない。
留学をしていた一年の差はなんてことないと思っていたが、意外とギャップを感じる。
卒業生代表で謝辞を述べた子も、入学式のことを4年前と言っていた。
私にとっては5年前だが。
あの時のことは鮮明に覚えている。
新入生を加入するために列をなしたサークルの人たちがのしかかるように新入生の我々に声をかけてきた。息の詰まるような通りを抜けると入学式が始まってもいないのにどっと疲れた感じがしたのを覚えている。
教室に行くとすでに女の子たちで埋め尽くされていた。
私の学部は9割が女子だった。
何故か知らないが、入学式が終わって間もないのにも関わらず、教室内はいくつかのグループが出来ていた。
本当に不思議だった。
きっと女子には、一目で相手が自分と同類で仲良くできる人間かどうか見極めることが出来る何か特別な能力が備わっているに違いない。
そう思いながら私は一人で席に着いた。
大丈夫だ、いつもそうだから。
初めは一人でも、数か月もすれば話し相手ぐらいできるだろう。
そう思っていた。
しかし意外なことにオリエンテーションが終わるとすぐに友達が出来た。
入学試験の時、席が前後で少し話した女の子が声をかけてくれたのだ。彼女も合格していると知らなかった。そして明るい性格の彼女のおかげで、なんにんもの友人が出来た。これほど早くコミュニティのなかで友人が出来ることなど、私の人生において後にも先にももうありえないだろう。前もって言っておくが、彼女たちにはいまでも感謝している。
入学して数か月もすれば、同級生の顔や特徴などが分かってくる。
とりわけ私達は一年生の頃、月曜から土曜の朝から晩まで(土曜はお昼まで)ずっと授業だった。そして毎日顔を合わせていれば自然と分かってくる、自分と彼女らの違いが。
まず彼女たちはおしゃれだった。
毎日違う服を着てくる。私だって毎日服は洗濯しているが、週に何度かは同じ服を着ていた。しかも彼女たちは自分に似合うものが分かっている。レースのワンピールがとても似合うふわふわした髪の毛のいかにもお嬢様という子もいれば、雑誌から飛び出してきたかのようなおしゃれな子もいた。そのほかにも私でも知っているようなブランドのロゴが入ったバッグを日替わりでもってくるような”本物”もいた。
そして次に彼女たちには皆、彼氏がいた。
もちろん皆とても可愛かったので、今思えば共学出身の彼女たちに彼氏がいるのは当然のことなのだが、女子高出身の私には衝撃だった。そして初めに仲良くなったグループの中でも彼氏は要らないと公言していた子に数か月後、彼氏が出来ていた。
当時の私にとってはショックだった。
そしてテストの時期になり、彼女たちとの違いは明確になった。
私は正直彼女たちを馬鹿にしていた。
遊びまわっている彼女たちと真面目に積み上げてきた自分とではレベルが違うだろうと思い込んでいたのだ。
しかしテストの結果は私が期待していたものとは程遠いものだった。
フランス語は私を含むほとんどの学生にとって初めて学ぶ言語だった。スタートは皆同じだ。
それなのに遊びまわっていたはずのあの子の方が私より成績がよくて、あんなにかわいい顔をしたあの子は満点だなんて。
こうして私は頭の良さや真面目さなんかより、
顔の良さと実家の太さがものを言うと思い知らされた。
高校時代から渋谷で日常的に友人らとつるみ、
スカートを挑発的なまでに短く、メイクもファッションも完璧に学んできた彼女たちにとって試験も、ブランドバッグも、彼氏も全て楽勝だったのだ。
少なくとも私にはそう見えた。
悔しかった。
しかしそんな日々も過ぎていった。
一年目が終わり、成績が発表された。
一年目は本当に大変だった。雅生先生の授業では毎回単語テストがあったし、覚子先生は強烈だった。リヴォ―先生の会話の授業ではいろんな子と仲良くなれてうれしかった。そしてリヴォ―先生は私にとって、人生で初めて会話した記念すべきフランス人だ。
基礎演の担任だった雅生先生は毎回単語テストをしていたけれど、回答が返却されるとそれに押されているスタンプが可愛かった。鳥獣戯画のスタンプで、良い点だとウサギで悪い点だとカエルが口から火を噴いているのだ。私は動物のなかでウサギが一番好きで、カエルがこの世で一番嫌いなので先生とは気が合うなあと思っていた。
あとはいくつもの一般教養の授業を単位のためにとってたけれど、本当につまらなくかった。成績が発表された時は、60可だったので冷や汗をかいた。
二年目が始まると
一人二人と大学に来なくなった。
留年した子もいれば、自主退学した子もいた。
皆知らないところで悩んでいたのだ。
そして二年目にもなるとそれぞれ異なる授業を選択するようになった。
私は映画の授業を多く選択し、そのため多くの同級生とは週に何度か顔を合わす程度だった。
彦江先生の映画の授業は一年生の時も受けていたが、今度は一般教養だったからフランス映画以外についても多く触れていてとても面白かった。一方で大原先生の授業は、仏文の授業だからフランス映画がメインだった。私はようやくこの授業のおかげで、ゴダールとかトリュフォーを認識し始めた。そして基礎演の担当は中条先生だった。うちの学科の有名な先生だったので、担任してもらえてうれしかった。(月曜1限だったけど)その授業ではマンガのタンタンを翻訳するというもので、授業自体も本当に面白くて、本を書いている人というのはすごいなあと思った。
それから覚子先生の授業は金曜の5限だったけれどこの頃からフランス語がどんどん分かるようになるのが楽しくて、授業がまったく苦じゃなかった。
それから、日本語教室のボランティアにも行くことにした。
知らない人ばかりだったけれど、個性的な人ばかりですごく楽しかった。ここで出会った台湾人の友達に台湾を案内してもらったりした。
またこのころ時間割が全く同じ友達と仲良くなって、一緒に映画を見に行ったりした。
南インド映画祭というのに行ってものすごく楽しかった。
彼女は台湾の映画にも詳しくて、一緒に台湾に行ったときは色々案内してもらった。
こうして月日は過ぎ、私は
あまり周囲を気にしなくなった。
週に何度も同じ服を着ていったし、彼氏が欲しいともあまり思わなくなった。
そして交換留学に申し込みをした。
周囲にはほとんど相談しなかった。
周りより一年間卒業が遅れることについては全く考えなかった。
三年目の始まりはバタバタしていた。
夏から留学することが決まって、いろんな書類とか用意しなくちゃいけなかったからだ。
それに二年目で受けていた英語の授業を登録し忘れていた為に、別の語学の授業を取らなくちゃいけなくなって、しょうがなくイタリア語の授業を受けた。自分の爪の甘さを痛感した。
ゼミは一番の希望だった中条先生のが試験に落ちてしまい、野村先生のゼミになった。
野村先生のことはほとんどど知らなかったけれど、めちゃくちゃ厳しいか、静かな人なんだろうなと思っていた。そしたら厳しい先生だったので、毎回予習が大変だった。
それからこの年も大原先生の授業を受けた。留学に行くと言ったら、ニコニコしながら激励の言葉をかけてくれた。私は幼い頃から先生に気をかけられることが無い生徒だったのでうれしかった。
イタリア語のメッシーナ先生も優しかった。先生は私にガブリエラと名付けた。フランスに行くといったら、イタリアにも行ったらいいと言われた。実際イタリアで少しイタリア語を話したら、街の人がみんな優しくしてくれたので、この授業を取って本当によかったなあと思った。
そんな感じで夏にフランスへ行った。
留学から帰るとみんなは4年生で就活を終えていた。2学期から学校に戻ると、全然知らない人と共に授業を受けることになった。
それに大原先生の授業が彦江先生になっていた。内容は写真の授業だったけど本当に面白かった。雑誌を切り抜いてスクラップブックを作るなんて美術の授業みたいで、久しぶりだった。
野村先生は休暇でゼミを変更しないといけなかった。ラッキーなことに留学生はどのゼミでも選べるということなので、中条先生のゼミにしてみた。映画のゼミでおもしろかった。
こうして友だちはみんな卒業した。
4年目は就活が大変だった。
美術史の授業を取ってみたけど、おもしろかった。
あとはリヴォ―先生の授業もとってみた。
一年生の頃はなにも話せなかったのに、今は先生と会話できるのが感慨深かった。それに授業中に見た「地下鉄のザジ」と「8人の女たち」がとっても面白かった。
友だちはいなかったけれど、結構楽しかった。
オンライン授業は就活の息抜きみたいな感じだった。
それから卒業論文を書いたのも、思い出深い。
私の学生生活はこんな感じだった。
ブランドバッグを日常的に使う”本物”のお嬢様と友達になれたことや、
クールでセクシーな先生と憧れの先生と出会えたことや、
ただ好きで見ていただけの映画が自分にとって特別に感じることが出来るほど深く学べたこと。
写真なんて全く興味なかったが、写真集を買うほど好きな写真家と出会えたこと、
他学部の生徒しかいない日本語教室のボランティアに参加したこと。
もし別の道を選べたとしても、私がこの5年間で経験したこと、見た景色は私の宝物だ。絶対に手放したりしない。
南インド映画を一緒に見に行く友だちが出来たことや、
フランスで一年過ごしたこと。
あの頃私が思いもよらなかった自分になった。
私はサークルにも所属をしなかったし、学祭には一年生の時一度足を運んで以来行っていない。
飲み会にもほとんど参加しなかった。
他校の知り合いなんてほとんどいない。
私の学生生活は一見ひどくつまらないものに見えるかもしれない。
だが、私は確かにこの5年間で多くを学んだ。
別の道を歩んできた他の人がどんなにうらやましく思えたとしても、
私はこの5年間を失いたくない。
私は今年就職活動をし、卒業論文を書き終えた。
就職先は第一志望の企業ではないし、成績も普通だった。
けれどこの先どんな困難があっても、この一年を乗り越えたことは私の自信になるに違いない。
きっと私は100歳のおばあさんになったとしても、介護施設の職員なんかにこの事を自慢するだろう。初めての面接がzoomだったこと。Wi-Fiの接続が悪く、授業に参加できなかったこと。
きっと2020年度の全ての卒業生が、未曾有の状況下にも関わらず、将来の道を模索して、卒業研究をも成し遂げた。
こんな私達は本当にすごい。
皆すごい。
卒業おめでとう私。