フランスの思い出-ブッダボウル

ベジタリアン、菜食主義、ヴィーガン

 

環境にも優しく胃にも優しい。

 

 ベジタリアンという言葉が市民権を得てからしばらく経つが、実際に自分はベジタリアンだという人物を見たことがなかった。テレビに出なくなったローラがベジタリアンだかヴィーガンになったというニュースを目にしたくらいだ。

 そのためUFOのように都市伝説のようなものだと思っていたが、フランスに来てベジタリアンという言葉はより身近に感じるようになった。町を歩けばベジタリアン向けのレストランがあるし、スーパーでもベジタリアン向けの食事など多く用意されている。そしてついに私はベジタリアンに出会ったのだ。

 アジアに興味がある仏人学生とアジアからの留学生のためのサークルというなんとも怪しげな会合のようなものに参加していた私は、その日も集まりに参加した。断じて参加者は皆素敵な人ばかりだった。同じアジア人留学生として誇りに思ってしまうような賢い中国人留学生がたくさんいた。そしてその集まりで偶々隣に座って話しかけた人がベジタリアンだったのだ。

 彼女は肉や魚など動物で出来たものは口にしたくないと頑なに断っていた。いくら苦手なものであろうと提供された食物を断ることのできない食の冒険家ともいえる私には、肉のようにおいしく栄養価の高いものを食べないんてどうかしているとさえ思ったが、彼女の話に興味を持った。幼い頃から動物が大好きだった彼女は、食卓に出されるミディアムレアのステーキやハンバーガーのパテが自分の大好きな友人の親族だったと知り、以来食べるのをやめたそうだ。分からない話でもない。

 とにもかくにもそんな彼女に感化された私は、自分もベジタリアンとやらに挑戦してみたいという気持ちを育て始めた。

 ベジタリアンデビューする日を今か今かと待ちながら、「これが最後の肉食になるのかも」などと大げさに肉料理を以前より頻繁に口にするようになった私に思いがけないチャンスが舞い込んできた。

 私の住んでいるアパートメントの近くにはおしゃれなカフェがあった。どのくらいおしゃれかというと店内に植物がたくさん生けてあり、タトゥーの入った店員さんが接客をしている。お客さんは多くがマックブックを使用し仕事だか勉強だかしているけれども、外資系コーヒーチェーンにて必死の形相で取引先を電話するような人種とは異なり、その様子もどこかゆったりと粋な様子だ。そんなカフェも私達日本人留学生の中で、「あそこイケてるよね」と話題になるホットなスポットだった。

 もちろんカフェ巡りを趣味とし、何をするでもなくただカフェに行くことが好きな私も当然のことながらこの店を訪れた。するとメニューの片隅に「ブッダボウル」と書いてあった。

 ブッダボウルとは、ブッダが入っているのかまさかこの店は怪しげな新興宗教とかかわりがあるのか、

 いかにも現地での生活を楽しんでいる同じく日本人留学生の一人からブッダボウルに関する有力な情報を手に入れた。このブッダボウルは土日のランチ限定で提供されている食事で、なんとベジタリアン用の粋な一品らしい。

 おいしくて体の中からキレイになった気がするといっていた彼女に対して哀れみの視線を醸し出しながら、私の心はすでに決まっていた。

 ブッダボウル、これこそが私のベジタリアンデビューに相応しいと。

 ある土曜の11時ごろ、ブランチにちょうど良い時間帯に足を運んだ。正直に言うと前日からこのブッダボウルのために体調を整えていた。

 勇み足でカフェへ向かい、

ブッダボウル一つください」と注文すると、席で待つように促された。

 数分後、ついにその時はやってきた。

 どんぶりに入ったそれはあたかも故郷ジャポンを代表する名物料理ラーメンのそれのような威厳を醸し出していた。のぞき込むとそこにあったものは黄土色のスープとそこに浮かぶいくつかの千切りキャベツだった。

 

ん、、?

 予想していた色鮮やかなベジタリアン料理とは程遠い。

高校のころ水泳部だったため、プール開きの時期になると決まって藻だらけのプールを清掃させられた。半年間手付かずだったプールは夏の輝くような水面とは異なり、薄暗く得たいのしれない植物が無数に浮かんでいた。キャベツが浮かんだスープを見ていると、このプールを思い出した。

千切りキャベツを掬って食べてみる。するとただのキャベツの他にも、ムラサキキャベツやにんじんの千切りが一緒に出てきた。極限まで細かく千切りにされた野菜たちはシュレッダーから出てくる紙屑を思い出させた。

屑を食べている。この言葉が私の頭から離れない。

それにスープもまるでおいしくない。冷たい薄味のカレー風味の液体は全く食欲をそそらない。

 

 ベジタリアンとして生きるにはこれを食し、おいしいと思わないといけない。そう強く感じた私は何とかして食べ切った。

 

家へ帰ろうとカフェを後にした私の足は、ケバブ屋へと向かっていた。

 

ベジタリアンの人はこんな思いをしながらも信念を貫いているのだから本当にすごい。

私にはまだまだ難しそうだ。